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加東四国八十八カ所霊場
加東四国八十八カ所霊場
四国霊場八十八か所を加東郡内に写した、いわゆる「加東四国」は大正七年(1918)から始まったといわれる。ところが、その原型はすでに享和以前に行われている。享和元年(1801)に、加東郡上小田村の法念という僧が作成した「加東四国霊場記」という木版本がある。それによると、四国霊場遍路が年を追って盛んになったが諸種の事情で巡拝出来ないものも多く、その人々に功徳を与えるため、一念発起して郡内に写したととある。そして、「罪禍を滅し萬の病難をのがれ、未来成仏うたがひなき末世の利益」を広く衆生に弘誓することをねらったという。
まず第一番札所は、阿波国竺和山霊山寺を浄土寺本堂に写し、二番は同寺大正院、三番同寺歓喜院とスタートさせた。しめくくりの第八十八番は、讃岐国医王山大窪寺を写した東実山神呪寺である。その道のりは十四里余。いずれも弘法大師ゆかりの真言宗の寺堂をを中心に設定している。大正七年に加東郡霊場が設定した「加東四国」は、五峰山光明寺大慈院から始まり、第八十八番を由羅野山慈眼寺持宝院としているので、享和のものとかなり異なっている。近世の加東四国霊場に加入していた社町域の寺堂は30。その中には、第八番長安寺(沢部村)・第十四番歓喜院(上田村)・第十七番施薬寺(出水村)・第十八番安楽寺(山国村)・第二十二番一条院(社村)など、現在ではなくなったり一堂宇になったものもある。また、奉納経請所は浄土寺智明院、光明寺大慈院、阿弥陀寺経王院、神呪寺観智院。世話は大深山東福寺と東実山神呪寺がつとめたとある。
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